日本では、なぜマーケティングが「広告の仕事」になったのか
マーケティングは本来、顧客理解、市場把握、価値設計、商品やサービスの届け方までを含む経営機能です。なぜ日本企業では広告・宣伝・販促の仕事として扱われやすくなったのか、戦後の導入史から整理します。

マーケティングは、広告ではありません。
このことは、マーケティングを学んだことのある人にとっては、ほとんど当たり前の話です。マーケティングとは本来、顧客を理解し、市場を捉え、価値を設計し、商品やサービスを届け、企業と顧客の関係性をつくっていくための経営機能です。
しかし、日本企業の現場では、マーケティングはしばしば「広告の仕事」「宣伝の仕事」「販促の仕事」として扱われてきました。
マーケティング部門に期待されるのは、広告を出すこと。キャンペーンを考えること。SNSを運用すること。展示会を準備すること。パンフレットをつくること。LPをつくること。メルマガを配信すること。
もちろん、それらはすべてマーケティング活動の一部です。
しかし、一部でしかありません。
前回、「マーケティング本が売れないのは、マーケティングが不要だからではなく、マーケティングが自分の仕事を変える知識として認識されていないからだ」と書きました。
では、なぜそうなったのでしょうか。
その背景には、日本におけるマーケティングの受容のされ方があります。
経営思想として輸入されたマーケティング
日本にマーケティングという概念が本格的に紹介されたのは、1955年、日本生産性本部の斡旋でアメリカへ出向いた第一次トップマネージメント視察団によるものだとされています。日本生産性本部自身も、1955年に設立され、米国へ経営組織、生産管理、マーケティングなどの経営手法を学ぶ視察団を派遣したと説明しています。公益財団法人吉田秀雄記念事業財団の資料でも、この流れが紹介されています。
ここで重要なのは、マーケティングが最初から「広告技術」としてだけ入ってきたわけではない、という点です。
それは、戦後日本の産業復興と高度経済成長を支えるための、近代的な経営思想の一部として導入されました。
大量生産をどう大量販売につなげるのか。市場をどう捉えるのか。消費者の欲求をどう理解するのか。商品、流通、価格、販売促進をどう組み合わせるのか。
本来、そこには経営全体に関わる広い視野がありました。
ところが、企業実務に入っていく過程で、マーケティングは広告・宣伝・販促と強く結びついていきます。
その象徴的な存在が、電通の吉田秀雄です。
吉田は、広告を勘や名人芸ではなく、科学に裏打ちされた合理的な経営活動として捉えていました。1948年の電通の株主総会報告書に添えた文書では、精確な市場分析、市場調査、それに基づく合理的な広告計画や宣伝作戦、図案、文案、レイアウトの技術までを備えて初めて本格的な広告代理業が成り立つ、という趣旨の考えを示しています。
これは非常に重要です。
吉田にとって広告とは、単に目立つ表現をつくることではありませんでした。市場を分析し、消費者を理解し、計画を立て、表現に落とし込み、販売につなげる総合的な活動でした。
つまり、広告の高度化の中に、マーケティング的な発想がすでに含まれていたのです。
1956年には、電通が月刊『マーケティングと広告』を創刊しています。同誌の創刊にあたり、吉田は、電通が戦後直後からマーケティングの重要性に着目し、市場調査技術の導入を含む広告理論・技術の展開に努めてきたと述べています。
ここに、日本型マーケティング理解の出発点があります。
マーケティングは、経営思想としては広いものでした。しかし、それを企業に実装していく担い手の一つが、広告会社であり、宣伝部であり、販促部だった。
だから、マーケティングは「経営の言葉」として入ってきた一方で、現場では「広告・宣伝の言葉」として定着しやすかったのです。
日本マーケティング協会の歴史から見えること
この流れは、日本マーケティング協会の歴史を見ても読み取れます。
日本マーケティング協会の歩みによれば、日本マーケティング協会は1957年10月に設立されました。1963年にはAMA定義の翻訳版である「マーケティング定義集」を作成し、1964年には電通専務取締役の島崎千里氏が初代理事長に就任しています。
これは、マーケティングが広告業界だけのものだった、という意味ではありません。むしろ、食品、化粧品、日用品、流通、製造業など、戦後の消費社会を支える企業群の中に広がっていきました。
ただし、実務上の入口は、どうしても広告・宣伝・販売促進になりやすかった。
なぜでしょうか。
当時の日本企業にとって、最も分かりやすい課題は「つくったものを、どう売るか」だったからです。
戦後復興から高度経済成長へ向かう時代、多くの企業にとって重要だったのは、生産力を高め、流通網を広げ、商品を全国に知らせ、消費者に買ってもらうことでした。テレビ、新聞、雑誌、ラジオといったマスメディアが発展し、広告は企業成長の強力な武器になりました。
この時代において、マーケティングは「顧客と共に価値をつくる」というよりも、「作った商品を、いかに市場に浸透させるか」という文脈で理解されやすかったのです。
ここで、マーケティングの意味が少しずつズレていきます。
本来のマーケティングは、商品をつくる前から始まります。誰に向けた商品なのか。どのような未充足ニーズがあるのか。競合との違いは何か。価格はいくらが妥当か。どのチャネルで届けるべきか。使い続けてもらうには何が必要か。
しかし、実務上のマーケティングは、しばしば商品ができた後に呼ばれます。
「この商品をどう売るか」
「どう認知させるか」
「どんな広告を打つか」
「どんなキャンペーンをするか」
「どう販促物を作るか」
つまり、マーケティングが事業の上流ではなく、下流の販売支援として使われるようになる。
ここに、現在まで続く大きな誤解の種があります。
現代にも残る「マーケティング=後工程」という誤解
この誤解は、現代の企業にも残っています。
新商品を作る。価格を決める。営業方針を決める。販売チャネルを決める。その後で、マーケティング部門に声がかかる。
「これを売れるようにしてほしい」
「認知を上げてほしい」
「リードを取ってほしい」
「SNSで話題にしてほしい」
「LPを改善してほしい」
しかし、その時点で、すでに勝負が決まっていることも多い。
商品設計がズレていれば、広告だけでは解決できません。価格が合っていなければ、キャンペーンだけでは限界があります。営業導線が弱ければ、リードを増やしても売上になりません。ブランドの中核メッセージが曖昧であれば、どれだけ発信しても伝わりません。
Happy Marketingの資料でも、マーケティングが機能不全を起こす要因として、マーケティングの役割が不明確であること、「宣伝」依存と部分的依頼体制、部門間連携不足、トップのマーケティング不関与などが整理されています。
これは、まさに歴史的に形成されてきた「マーケティング=後工程」という理解の延長にあります。
マーケティングが経営の上流にいない。商品開発に関与しない。価格や流通に関与しない。営業体制に関与しない。顧客理解の仕組みに関与しない。
でも、最後の認知獲得と販促だけは任される。
その結果、マーケティングは「広告を出す部署」になってしまうのです。
広告は悪くない。問題は代替物になったこと
もちろん、広告が悪いわけではありません。
むしろ、広告は極めて重要です。広告は、企業と顧客の接点をつくる。まだ知られていない価値を可視化する。ブランドの認知を広げる。市場に対して新しい選択肢を提示する。
問題は、広告がマーケティングの一部であるにもかかわらず、マーケティング全体の代替物のように扱われてしまったことです。
広告を出せば売れる。認知が上がれば売れる。SNSで話題になれば売れる。SEOで流入が増えれば売れる。展示会に出ればリードが取れる。
こうした発想は、マーケティングを施策に分解します。そして施策だけが増えていきます。
広告。リサーチ。SEO。展示会。セミナー。解析。動画。MA。コンテンツ。
外側の活動は増える。
しかし、中心にあるべき価値設計、顧客理解、ブランドメッセージ、事業戦略が空洞化していく。
Happy Marketingの資料では、これを「マーケティングのドーナツ化現象」と呼び、企業やブランドが中心部分を失い、外側の活動にばかり集中する状態として整理しています。
この「ドーナツ化」は、突然起きたものではありません。
マーケティングが広告・宣伝・販促の延長として実装されてきた歴史の中で、少しずつ進んできたものです。
なぜ「マーケティングの本」は売れにくいのか
ここで、改めて考えたい。
マーケティング本が売れない理由は、マーケティングが難しすぎるからではありません。マーケティングが抽象的だからでもありません。マーケティングが古いからでもありません。
むしろ、多くの企業でマーケティングが「広告・宣伝・販促の仕事」として理解されすぎているからです。
広告の本は売れる。SNSの本は売れる。SEOの本は売れる。営業の本は売れる。ブランディングの本は売れる。生成AI活用の本は売れる。
しかし、「マーケティングの本」は売れにくい。
なぜなら、読者の頭の中で、マーケティングが経営全体を変える知識として立ち上がっていないからです。
マーケティングは、マーケティング部門のもの。宣伝担当者のもの。広告代理店のもの。Web担当者のもの。SNS担当者のもの。
そう見えてしまっている。
だが、本来は違います。
マーケティングは、経営者のものです。商品開発のものです。営業のものです。採用のものです。広報のものです。組織づくりのものです。顧客と接点を持つすべての人のものです。
日本マーケティング協会は2024年に、34年ぶりにマーケティングの定義を刷新しました。新しい定義では、マーケティングを「顧客や社会と共に価値を創造し、その価値を広く浸透させること」によって、ステークホルダーとの関係性を醸成する構想でありプロセスだとしています。
この定義は、マーケティングを広告よりもはるかに広く捉えています。
価値をつくること。価値を浸透させること。関係性を育てること。持続可能な社会につなげること。そして、それを構想し、プロセスとして実装すること。
つまり、マーケティングは「売るための手段」ではなく、「価値を社会に接続するための経営機能」なのです。
マーケティングを、もう一度「経営の言葉」に戻す
日本におけるマーケティングの歴史を振り返ると、そこには二つの顔があります。
一つは、経営思想としてのマーケティング。
もう一つは、広告・宣伝・販促としてのマーケティング。
前者は、顧客、市場、価値、事業を考える。後者は、認知、集客、販売促進を担う。
どちらも必要です。
しかし、後者だけがマーケティングだと思われたとき、マーケティングは狭くなります。
マーケティングが狭くなると、マーケターの仕事も狭くなります。広告運用者。SNS運用者。SEO担当者。コンテンツ制作者。LP改善担当者。
もちろん、それらの専門性は重要です。
しかし、それだけではマーケティングの中心には届きません。
マーケターが本当に稼げるようになるには、広告・宣伝・販促の実行者にとどまっていてはいけない。経営と顧客の間に立ち、商品、価格、営業、ブランド、組織、顧客接点をつなぎ直す存在にならなければなりません。
つまり、マーケティングをもう一度、経営の言葉に戻す必要があります。
そのためにはまず、日本企業の中でマーケティングがどのように「広告の仕事」として扱われてきたのかを見直す必要があります。
歴史を振り返ることは、懐古ではありません。
現在の誤解をほどくためです。
マーケティングは広告ではない。
しかし、日本では広告を通じてマーケティングが広がった。
その功績は大きい。
同時に、その副作用も大きかった。
いま必要なのは、広告を否定することではありません。
広告を、マーケティング全体の中に正しく位置づけ直すことです。
マーケティングを「作ったものを売る仕事」から、「売れる価値をつくる仕事」へ。
マーケティングを「宣伝の仕事」から、「経営の仕事」へ。
マーケティングを「施策の集合」から、「価値創造の構想」へ。
そこに戻らなければ、マーケティング本は売れません。
そして、マーケターも高く買われません。
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